internet-boyzの日記

4人で交換日記をしています。

眠れないので

コロナ流行の第二波が不安な中(もっとも、これは新宿で陽性の人にお金を配り始めたからだとか諸説あり、感染者が増えていると断定することはできないが)、気温は日に日に上がる一方で、梅雨はというと未だに明けず、エアコンの除湿をフル回転させて、毎日を耐え凌いでいる。

終わらない大学の映像講義は終わる気配を見せず、昼夜逆転は深刻化し、1周回って生活習慣が治ったり、また逆転したりを繰り返している。

そんな中、なんとかして適切な時間に就寝できるようにと、ASMRや耳にやさしい音楽などを探しては聴き漁ってみるが、どうにも眠れない。

そして、そのようなものを聴いているうちに、いつもの如く多動グセが出てしまい、僕は居ても立ってもいられなくなった。

「自分で寝るために聴く曲は自分で作れば良いんではないか!」そう思い立ったのである。

そして、僕は早速、実行に移すことにした。

 


(中略)

 


(中略)

 


(貝類が好きな陶芸家→牡蠣えもん)

 


(このハゲ〜!)

 


(中略)

 


完成である。

 


どうでしょうか。

因みに、波の音をサンプリングしているのは、前回の熊猫君の日記から繋がっている意味合いも込めている。

曲名は適当である。

 


はじめはASMR〜アンビエントのノリで作ろうと思っていたが、途中でテンションが上がってドラムをしっかり足してしまい、結果的にlofi hiphop的なビートになってしまった。

こんな感じで、眠れない時は、自分で眠れそうなビートを作り、流してみるのもありかもしれない。

 


(↓以下、独り言)

 


lofi hiphopは、多分2017年とか、2018年あたりに一気に世界に広まった音楽である。

もっとも、SoundCloudなどを少し掘れば分かるように、そういう類の音楽自体はだいぶ前から存在していたが、アニメのGIFにビートを載せたものが所謂チル、エモみたいなノリで(因みに、この「エモ」は本来ロックの方がおそらく先な気がする。 これは、昨今の日本の若い人たちがよく言うのとはだいぶ感じが違っている。この辺の「エモ」の感覚のズレの変遷及びその波及などに詳しい人は、是非教えてください)YouTube等を中心に一番勢いを加速したのは、多分に2017〜2018年辺りである(実際にリアルタイムでもなんとなくそれを感じていたし、今でもChilledCow辺りの有名なYouTubeチャンネルの履歴などから分かる。

詳細が気になる人は、調べてみてください(beipanaさんのブログ『Lo-fi Hip Hopはどうやって拡大したか』https://www.beipana.com/entry/what-is-lofi-hip-hopが分かりやすいかと思います)。

この音楽は、そもそも偉大なる先人が汗水垂らして作ったアニメの一部を切り取って拝借し、さらに偉大なる先人が汗水垂らして作った曲の一部を切り取ってドラムを付け音をローファイにするという、ぶっちゃけると安易な手法が多くの曲で用いられている(勿論、作り込まれた作品も数多く存在する)(あと、これはサンプリングを否定しているわけではない。ぶっちゃけ、サンプリングしたものにドラムをつけるのはかっこいい)。早い話、サクっと作れてサクっとバズったりするんである。

当然、賛否のうちの否の声がかなりに多い。

かくいう僕も、曲作りを始めた頃はそのように安易な動画を作ったりしていたこともあったが、今では「本当にそれがチルなのか?」などとすぐムッとする、修羅の国福岡県警も一目置く「チルチル警察」になりつつある(その頃に作った動画は、一応まだ上げたままになっているが、ちょっと黒歴史である。ただし、lofi hiphop的な音楽を聴いて心地よく感じる自分の一面も確かにあり、故に今は、なるべく安易さとは距離を置くように、製作を行うことにしている)。

他にも、lofi系の音楽が「作業用BGM」として聴かれることが多いこと、即ち「(音楽・受け手両者に内包される)過度な受動性」などへの批判など、あらゆる方面で批判が見られるものとなっている(この辺の批判に関する事細かな引用などは余りにも長くなるので割愛するが、調べるとすぐに出てくる。便利な時代である)。

一方、このような音楽には少なからず消費社会へのアンチテーゼ、逆張りの意味(所謂、逆の逆を張って順に戻っているタイプと少し似ている)もあると思っている。

そして、そういう部分に関しては、確かに共感し、肯けたりもするのである。

まとめると、思うところはいろいろあれど、少なくとも、(アニメのGIFを拝借したりするのは褒められたことではないということを再三前置きした上で、lofi hiphopに限らず創作物全般について、)「安易な気持ち」であれ「逆張り」であれ、作り手の精神性のような部分は確かに重要であり、受け取り手の感じ方はどうであれ(どうであっても良い、という意味ではない)、作り手目線では必ず何らかの形で作品に表れる、ということだけは、今のところの自分の考えである。

そんなの当たり前であるが、改めて、だ。

当たり前なことこそ、敢えて思い返すことで自覚的になる、を繰り返した方が良かったりする。

勿論、サンプリングのネタやアニメをも自作し、1億時間かけてlofi hiphopを1曲作ったりしたって良い。

ありゃ、何だかまとまったようでうまく諸々を拾えていない感じがしてきたぞ。

もしかすると、この日記自体が黒歴史かもしれない。

今日も眠れない夜は続く。

 

 

 

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