internet-boyzの日記

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戸田山『科学的実在論を擁護する』の序章と第一章を読みました

こんにちは

久しぶりに読書メモ的な使い方をしようと思います。

 

こないだネットを介して購入した戸田山和久科学的実在論を擁護する』の序章と第一章を読みました。二週間くらい前に読んだっきりなので、概要を説明したり、全体的に評したりとかはできないので悪しからず。このポイント面白かったな、とか、ここ覚えておいたら後で嬉しいかもな、みたいなところを箇条書きにしていきます。

 

 

 

序章 科学実在論論争とは何か

 

この章では、この本の主題となる科学実在論論争とは何かについて説明したのち、その源流となる経験主義の思考をデカルトから遡っています。

 

面白いなと思ったのは以下のポイントです。

 

・科学実在論における諸テーゼを何についての実在性を主張しているかについて分類している(対象実在論、事実実在論、意味論的テーゼ、認識論的テーゼ、形而上学的テーゼ、価値論的テーゼ)

 

デカルトーロックーヒュームという経験主義の系譜。特に途中から半実在論的な性格を帯びる。

 

 

 

第一章 還元主義と消去主義

 

この章では論理実証主義者による科学のモデル化から初め、その還元主義経験主義の破綻、消去主義的な道具主義プロジェクトなどが紹介され、論理実証主義とは何だったかについて振りかえられます。

 

以下、メモです〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

・公理モデルについての簡潔でわかりやすい、例つきの説明が読めた

 

・観察文/理論文の定式、前者は直接検証可能な文のことで、理論文は直接的に観察不能であるという説明がなされる。「原子は原子核と電子からなり〜」みたいな文は後者にあたります。これを経験主義やラディカルな検証主義の中でどうすくいとるかみたいな話が大事になるっぽいです。

 

・検証理論が破綻した際の諸々の反応が面白かった。理論語については実在論を認めたり、また言語的な枠組みの問題の中で解決しようとしたり(カルナップ)、あるいは道具的消去主義として理論語の道具としての有効性を論じつつ(マッハ)、それが消去可能であることを示したり(クレイグ)していました。

 

あんまり脳にインストールできませんでしたが、短くとも内容の濃い吟味が行われていてびっくりしちゃった覚えがあります。特にパトナムによる観察語についての指摘が興味を引いた。曰く、「観察語が原理的に観察可能なものを指すために使う言葉だとすると観察後などというものはない」ということであり、「観察語と理論語の明確な線引きを引くことは難しい」ということである。

 

論語と観察語という言葉はよく別の紙を読んでいて出てくる言葉だが、いまいちその意味がわかっていなかったので、はっきりと定式化されていたのはかなり助かりました。

こうした理論語/観察語をめぐる意味の広がりや、またパトナムが話す理論について評価語、自然文と規範文という区別についての議論を少し調べていきたいっスね。

 

肝心の議論の中身をほとんど紹介できなくてごめんね。

じゃ、また。

 

オハラク