internet-boyzの日記

4人で交換日記をしています。

イクラオニギリが美味しかった(インターネット奴隷道徳の話)

オハラクンと申します。昨日突然熱が出て倒れちゃったんだけど、そのあとコンビニで買ったイクラオニギリがすごい美味しかった。

 

コンビニのオニギリって普通のやつだと海苔がパリパリしていてるんだけれど、少しお高めのオニギリは海苔がしっとりしていてそれも好みだった。

 

地元金沢駅の構内にオニギリ屋さんがあって、昔家族で遠出したりするときなんかにしっとり海苔オニギリみたいなのを買っていたわけですが、そういうのを思い出して少し悲しくなっていました(熱があるときというのはそういうことになるものだよね)

 

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それはそれとして二日前くらいにニーチェ道徳の系譜』(信太正三訳, 理想社, 1967)の第一論文を読んだので備忘録もかねてその話をしようと思います。

 

道徳の系譜』には三つの論文が収録されていて、今回読んだ第一論文には「「善と悪[gut und böse]」、「優良と劣悪[gut und schlecht]」」という題がついています。

 

ちゃんとドイツ語を確認した人はお気づきかと思うけれど、「善と悪」と「優良と劣悪」という二つの対概念のうち「善」と「優良」は„gut“という一つの語を共有しているわけです(なので「善」と「優良」に分けて訳してしまうのってどうなんだ?と思いますが、そうすると二つの対概念があることがわかりにくくなってしまうので翻訳って難しいですよね)。まぁこのあたりのテクニカルな話は置いときましょう。

 

ニーチェはこの論文で、貴族道徳と奴隷道徳における「悪い」とはそれぞれどういうものかみたいなことを考えます。しかもその方法として、語源学というか、語の意味についての分析を採用します。

 

本当に大雑把にまとめてしまうと、貴族は自身の力の優良さを示す言葉として、「良い[gut]」を使い始めて、逆に「悪い[schlecht]」は力のない者を形容する憐れみが込められた語だったわけです。

しかし一方奴隷(奴隷といっても近代の社会階級を指すものではなく、近代における力のないものを指しているんだと思います。あるいは古代ギリシャ時代の奴隷身分も含まれているでしょう)の方は、まず貴族の力への嫉妬から悪い[böse]という語を使い始め、次いでそれへの反発として善[gut]という語を使い始めたというわけです。

 

つまり、貴族道徳と奴隷道徳においては「善」「悪」の出現の順番が逆になっていて、貴族道徳における「善」はあけすけがないのに対して、奴隷道徳の場合は貴族への嫉妬から彼らの「善」こそが本当の「悪」であり、彼らの「悪」こそが本当の「善」であると決めているというわけです。

 

要は「奴隷道徳は道徳を隠れ蓑にして嫉妬を隠し貴族を引き下ろそうとしており、すごいタチが悪いなぁ」ということで、貴族道徳の優位さを示すわけですね。この辺は昨今のインターネットに関して示唆的というか、まぁいつの世もこういう倒錯した道徳があるんだぁと思わされる次第です。

 

貴族道徳は最強であり、最強であるがゆえに道徳にかなっているというわけです。

基本的に強くなければ優しくなれません。みなさんも最強になりましょう。

 

 

オハラク