「禍福は糾える縄のごとし」と言うけれど
どうも。熊猫です。
みなさん、幸せとか不幸とか、ちゃんと感じていますか?
「人生山あり谷ありだ。幸せなことも、不幸なことも、どちらも起こるのが人生だ。」
と、大人の人は物知り顔で語ってくれますよね。
先日お外を散歩していて、ふと幸せとか不幸に関して疑問が湧いてきたので、今回はその話をしていきます。
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僕は散歩をしていた。
この数ヶ月世界中を跋扈していた病魔は、僕の前を素通りしてどこかへ言ってしまったようだ。
とはいえ、それは僕の生活に何も影響を与えていないということを意味しているわけではない。
大学は一時封鎖、授業はオンデマンドになった。そして、僕には残ったタスクから目をそらし、時間をただ浪費することを厭わない勇気があった。
しかし、時間を浪費するとはいってもその方法は多岐にわたる。
得意技は「惰眠をむさぼること」だったが、日に日に増加する体重と健康意識が、その手段を選ばせなかった。
散歩がてら喫茶店にでも行こうかと思い立って家を出たが、自分には浪費できる時間こそあれ、浪費できるだけのカネは持ち合わせていないことに気づく。
部屋の隅、財布の中、銀行口座、どこを探しても見つからない。
そして、散歩がてらに茶をしばく、という本来の外出目的は、いつのまにかただ散歩をする、という、極めて健康さを追求した時間つぶしに姿を変えていたのである。
散歩をしながら、ああ金が無い、親の仕送りまで残り10余日をどう過ごそう、などと滅入った気分になっていたところ、
「あれ、俺は毎月こんくらいの時期に金欠が原因で憂鬱な気分になっておらんか?」
という重大な事実に気づいてしまった。
そこで、先月はこの憂鬱をどう乗り越えたんだっけ、と思いを馳せてみたところ、
「酒のんで寝たら朝には嫌なこと全部忘れてた」
というこれまた極めて重要な事実に気づいてしまった。
思えば僕の人生は、全部そうである。
大学受験で第一志望に落ちたときも、留年したときも、就活で祈られ続けたときも、うまいもん食うか酒飲んでよく寝たら、憂鬱は吹っ飛んで、脳みそにはハッピーライフが舞い戻ってきていた。
例外は小4で祖母が死んだときくらいか。これは立ち直るのに1週間を要した。ながいね。
なーんだ、俺ってハッピーじゃん!メチャクチャ不幸を感じたり、憂鬱になったとしても、翌朝になれば元通りじゃん!と、脳みそのお花畑が満開になったところで、もうひとつ重大な事実に気づく。
「あれ、じゃあ俺、逆に、幸せな気持ちを翌朝まで持ち越したことってあったっけ…」
…なくね?
というかどんなに幸せな気持ちでも、寝て起きたらフラットになってる気がする…
「禍福は糾える縄のごとし」、いいこととよくないことは交互にやってくることを表す慣用句。
僕の場合は、いいこと、よくないこと、それぞれを受け止めた上で、翌朝には±0のフラットな感情になっている。
常に寝起きに平常心でいることは、果たして禍なのか、それとも福なのか。
いつかわかる日は来るのだろうか…