海は一つ、ではない
こんにちは。熊猫です。
今日は、「様々な海」について記事を書こうと思います。
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海。
先日、僕たちインタネットボーイズの一人である夜更かしクン(旧:ブリ)と、千葉に海を見に行った。
といっても、雄大なる太平洋、外房の海ではない。
プラントと倉庫、そして街の生活排水で汚れた船橋の海である。
果てしなく続く水平線…というのも存在せず、視界の端には木更津の工業地帯や、浦安の高そうなマンションが常にちらつく。
しかし、それでも海は海。
コンクリートで覆われた工業地帯に吹く潮風は、夏の訪れを感じさせてくれた。
そんな中、海を臨んで夜更かしクンと、「海って地域によってぜんぜん違うよね」という話をした。
例えば、僕の育った広島では、海といえば瀬戸内海だった。
古くから人々の往来に用いられ、海というよりは水路である。
僕の通っていた高校は広島市内の高台にあったため、窓から海がよく見えた。
晴れた日には四国山地の最高峰、石槌山すらも見える眺めの良さは、僕が母校に通ってよかったと思える最大のポイントだ(授業中、黒板よりも海を見ている時間のほうが長かったかもしれない)。
校舎の窓から眺めるおだやかな海には数々の島々が浮かんでおり、そこには人々の営みがある。
一方、北陸で育った夜更しクンやオハラクンは事情が違う。
日本海には詳しくないが、静かで冷たい海、というイメージが強い。
また、熊本出身のmtknの知る海も、きっと僕の知る海とは異なっている。
彼は昔、天草に住んでいたと言うから、トロピカルでどこか世間離れしたところのある海が原風景にあるのではないか。
こんなふうに、一言に海といっても、全員の脳裏に異なった情景が浮かぶはずである。
うさぎは多分クレーター痕のことを想起するだろうし。
海は一つにつながっている!なんて言うけれど(ごめんなさいうさぎさん)、人にも複数の側面があるように、切り取る場所によっては全く違った姿を見せる。
地方によって、国によって、賑やかな海、厳かな海、荒々しい海、トロピカルな海…
今年の夏、他にもいくつかの海に行くつもりだ。月以外で(ごめんなさいうさぎさん)。
どんな側面を僕に見せてくれるのか、楽しみでたまらない。
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うさぎカフェいきて〜〜〜〜〜!!!!!!!
熊猫