internet-boyzの日記

4人で交換日記をしています。

遠く遠く

こんにちは、夜更かしクンです。

先週チャリがパンクしたので

近所のチャリ屋で直してもらったんですが

またパンクしたのでチャリ屋againです。

1時間くらいで終わるらしいので

帰らずに近所の公園のベンチに来て

これを書くことにしました。

小学生たちがブランコをこぎながら

「おれ最近夜に駆けるがすき」

「うぃーーーあーーざちゃーーんぴおーん」

とか歌っています。

ぼく小学生のころブランコこぐのが

絶望的に下手だったからうらやま椎名林檎

そんな小学生たちに負けないように

蝉があちこちで鳴いてる。祭りだ。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーー

 

 

昨日、免許の更新のためだけに

実家に日帰りで行ってきました

(きょうはマジの日記を書きます)。

 

 

免許の更新は東京でもできるみたいだけど

提出する書類がたくさんあってめんどいし

地元で更新することにした。

自分がウイルスを持っている可能性もあるし

あまり地元には帰りたくなかったけど

駅と免許センターの往復だけならまあいいか、

という感じで、日帰り強行軍。

 

 

更新のための受付、8:30-9:00か

13:00-13:30の2回しかなくて

「11:30までには(実家最寄)駅にいなよ」

って親には言われていたんだけど

前日夜(当日朝)の午前3時くらいまで

インターネットボーイズとzoomしてた。

今から寝たら起きられんなーということで

シャワー浴びて軽く飯食って

始発の新幹線に乗ることに。

 

 

上野駅地下ホームへの下りエスカレーター、

壁に東北への旅行を促す広告が貼ってあって

「今年の夏は東北とか山陰を回りたかった...」

とか無限に考えてしまう。

下り新幹線に乗る時はいつも、

右側の座席に座るというポリシーがある。

浪人期を過ごした戸田公園や荒川土手が

見えるのがなんかうれしい。

明治ブルガリアヨーグルトの工場看板を

見るとルーティーン消化的な安心感がある。

でもコロナでずっと引きこもっていたせいか

車窓から何を見てもわくわくするナと気づく。

武蔵浦和のあたりで貨物線?の線路を発見。

 

 

8月のトランヴェール

北海道青森のアイヌ文化を特集してるな~

などと思っているうちに県境のトンネルに。

越後山脈をぶちぬくこのトンネル、

以前までは電波が入らず圏外になってたけど

最近電波が通るようになった。

これで終点までの2時間、ぶっ続けで

アマプラとかで映画を観られるようになった。

でも高校の先輩がこないだ、

電波が通るようになって嬉しいけど、

トンネルに入るとスマホをしまって

本を取り出して読むひとたち、

もう見られなくなっちゃうのかな。

妙に仲間意識があったんだけどな。

みたいなことツイートしてたの思い出して

なんか喪失感感じちゃった。

かわってくこと、かわらずにいること。

 

 

そんなこんなでトンネルを抜けると

そこは雪国、ではなく

一面のみどり。

 

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毎日の曇りや雨が性格を形成する。

 

 

地元着、駅駐車場にて、

車から降りてきた母にゴム手袋を手渡される。

東京の手は汚いらしい。まあそうか。

研究室か、とか突っ込みながら実家へ。

もうすぐ60になろうとする母のiPhone

厚労省COCOAなるアプリをインストール。

母、iPhoneにしてから1年が経つも、

いまだに自分でアプリを入れられない。

「これで解決!iPhone完全ガイド!」

みたいなのを買ったらしく、一緒に読む。

僕「ここにアプリの入れ方書いてあるよ」

母「ほんとだ」

僕「このページ順番に読んでみ」

母「App Storeを開いて欲しいアプリを選択」

みたいな感じでカスタマーをサービス。

・画面上部の薄いグレーの検索窓を見逃す

Apple IDとかの知識はない

・本の手順すら小項目の見出ししか読まない

などの諸問題の存在を確認。歳ですね。

特に最後のやつが深刻だなと...。

書いてあることを読み取れないというか、

そもそも読もうとしないというか。

それとも、

ページ全体を舐めるように網羅的に読む、

って、やるひとはあまりいないだけなのか?

昔の母はどうだったっけ。忘れてしまった。

幼少期の自分が気づいていなかっただけで、

実はそうだったのかもしれない。

 

 

昼を軽く食べ、免許センターへ。

うちの県民は枝豆をほんとによく食べる。

免許センター、

りゅうちぇるぺこみたいなカップルが

一緒に更新に来ている。平和。

あとはまあ、

山手線に乗っていると日暮里で降りていく、

おそらく常磐線沿線に住んでいるような

銀髪ウインドブレーカー女さんなどもいる。

こんな田舎にいるんだ...。

常磐線銀髪ウィンブレウィメンズの謎、

いつか調べてみたい。

この手のファッションの女さん、

ことごとく日暮里で降りていくし、

前に常磐線とかTX乗った時も

同一車両内に何人かいたので、

常磐線沿線にはたぶん、

あの手の女性を惹きつける、

もしくは住まざるをえなくする、

有意な何かが存在すると思う)

それ以外は特筆すべきこともなく

順調に手続きを終え、講習会へ。

 

 

途中休憩でトイレに行くも、

個室が5室中4室和式。

昭和から建て替えられていないせいで、

そのほかも設備が旧式。

これはなんというか、

「古くて汚い」というよりかは、

「昭和の香り」を各所に残しているというか

そんな感じ。

案内板のフォントとかがなんというか昭和。

絶対音感ならぬ絶対フォント感ほしー。

田舎特有の昭和公共施設、すき。

 

 

そんなこんなで無事免許を更新し、駅へ戻る。

せめて日本酒でも買って帰るか~と思い、

駅の日本酒館へ。

本命の夏限定生酒は売り切れだったけど、

はちみつから作ったとかいう謎の日本酒と、

ロックでいける日本酒をゲット。

新幹線改札に向かおうとすると

「駅弁でも買っていったら」

と言う母。

駅弁コーナーをのぞくもお気に入りの

「雪だるま弁当」「松茸にぎわい弁当」

がないので、退散。

こだわりが強すぎて、

これ以外の駅弁を買うことはほぼない。

 

 

店を出ると、

「お弁当のお金あげる。」と言って、

折りたたんだ千円札を財布から出す母。

なんか、なんか、すごく悲しくなっちゃった。

わかるかなあ、こういうの。

例えば父の実家から帰る時、

祖母が父に梅干しとか果物とかを

大量に持たせて来ようとするのに似ている。

というかもろそれ。

梅干しも駅弁も、ありがたいよ、

ありがたいんだけど、でも、なんかね、

すごい重荷に感じちゃうんだ。

物理的には重くないんだけどね。

これ以上書くと、

言わずに済んでいた母子間の愛情と醜さが

浮き彫りになってきちゃう気がして、

書いててつらくなってくる。

というかなってきたので消した。

分析がいつも正義とは限らない。

 

 

結局千円は受け取らずに新幹線に乗った。

仕送りで十分に生活させてもらっているし、

逆にその範囲内で頑張らせてください、

その程度のプライドは僕にもあります、

みたいなことを言った。

でも悪いことをしたなと思って、

母に感謝のラインを入れた。

 

 

相変わらず低い雲を眺めながら、眠った。

 

 

 

 

夜更かしクン

フーコー『知の考古学』を読む①

 どうも。前回は読書メモと言いながらかなりリーダビリティの小さい文章を投稿してしまったので、リベンジと思い、今回から定期的に『知の考古学』を初めから読んでいく記事を書いていこうと思います。

 

 いつも書いてるテキトーな日記もやめないけどね。

 

 ここでなぜ『知の考古学』かというと、それは以下の通りです。私は最近ずっとヘーゲルの歴史や哲学史にまつわる方法論に興味があって勉強を進めているんですが、そればっかり読んでいてもなと思うので、息抜きにより現代に近しい人の歴史論を読んで参照点としたいなと思っていました。聞くところによると、『知の考古学』はまさにヘーゲルの歴史論っぽいものの敵として、それと変わる方法論を提示しているようです。というわけでこの場を借りて読んで行こうかなと思ったしだいです。人から見られている方が義務感で続くもんね。

 

 そこで『知の考古学』を読むに際する私の方針は以下の通りです。

・基本的には邦訳(慎改康之, 河出文庫, 2012)で読み進め、適宜原典を確認する(とはいえ手元にないので後で入手しておこうと思います)

・精読はしない。章や節などで区切り、毎回大体20ページくらい読む。

ヘーゲルの歴史論に対する批判っぽいものをできるだけ汲み取る

・できる限り方法論っぽい話や哲学研究における慣習について言及する議論に対して感度を高めておく

 

 まぁこんなところでしょうか。専門家ではないので誤読が頻出すると思います。もし読み間違いを見つけたときには私のためにも必ず指摘してください。この記事の読者の義務です。私の想定している読者(あなたのことです)は非研究者ですので、その点について留意いただければと思います。

 

 

 

 今回はざっと諸論を読んでいこうと思います。

 

 

<諸論>

 

 邦訳で二ページほどと短いですが、当書が何をやっているのかを端的に示しており、かなり助かります。

 曰く、『知の考古学』は「以前の著作について、私が一体何をやりたかったのかということを、これから説明する」のであり、より正確に言えば「少々先へ進みつつ、いわば螺旋状の回転によって、私自身が企てたことの手前に立ち戻る」ためのものです。螺旋の比喩については把握しにくいですが、「先に進んでること」と「手前に戻る」ということを両立させて表象させるためのものだと思います(頭の中にxyz空間を取って、原点からz軸方向に螺旋階段が伸びていくのを思い浮かべると、螺旋が丁度n周した瞬間のxy座標は0z座標は進んでる、みたいな感じですかね(?))。私見では、循環の問題が扱われる際にこういう比喩がよく用いられるように思います。

 フーコーはここで早速「考古学」という語を導入しますが、これは「諸々の言説を記述すること」を目的にするものであり、「書物」や「理論」を問題とするわけではないと言われます。そうした半ば後付け的に整合性を与えられたような、境界がはっきりしているものとしてお墨付きが与えられたようなものではなく、より曖昧な言説の集合体、例えば「医学なるもの」や「生物学なるもの」を対象とするようです。この微妙な言葉遣いが重要になることが強調されており、フーコーはこうした言説の集合体が「絶えず変化を被る匿名で主体なきものである」ものの「自律的な領域を形成している」という論点へと拡張されることを仄めかしています。言いっぱなしなので具体的なことについては読み進めていくしかないでしょうね。

 こうして「アルシーヴ」という、よく取り沙汰されるいまだにどういう意味を持っているのか把握できない語もまた導入されます。「語られたことの領域」の言い換えとしてこの語が導入されており、兎にも角にもこの領域を——フーコーは今までの思想史研究においてこれが明るみに出されることはほとんどなかったと診断します——暴露すること、「非連続的性」を明るみに出すことが『知の考古学』の目的であると宣言します。

 私の拙いフーコー理解だと、彼は科学哲学・科学史の分野でキャリアをスタートさせ、『狂気の歴史(1961)』や『臨床医学の誕生(1963)』という科学史らしい(科学史のスタンダードな著作というものを知りませんが)著作で有名になったのち、『言葉と物(1966)』でこれまでの科学史っぽい話をしつつ自らの方法論を少し開示、そうして『知の考古学(1969)』でより方法論的な話に焦点を当てた議論を書いた、と把握しています。私の友人の中には『監獄の誕生』を好んで読んでいる人が何人かいますが、あれはもっと後の1975年らしいです。うろ覚えですが、筑摩社からでてる慎改先生の入門書では心理学とは人間的なものを志向していたより早い時期のフーコーが紹介されていました。この辺りの履歴はまだ全然見通せてないです。

 以前ホネット『権力の批判』を読んだときには、フーコーの『知の考古学』の試みが成功していたのかどうか吟味されていました。ホネットの読みだと、そこでのフーコーの試みは「いかにして自分自身の枠組みを、そこから逃れつつ評価・批判するか」というものであるとされ、最終的には失敗してしまうと判定されます。このような判定を下したホネットは次いでハーバーマスの社会理論を検討し、そちらに批判理論としての優位性を認めます。こうした判定を確かめることも留意しつつ、このまま読み進めていきたいですかね。

 ところで、ホネットの理解による当書の試みですが、例えばオリエンタリズムみたいな領域がよく従来のアジアアフリカ研究に対する批判として使っていた、「他文化に目を向けることが大事と言いつつ結局のところ自文化を基準にした評価をしているじゃないか」といった話を思い浮かべればわかりやすいかと思います。こうした解釈枠組みが超越論的なものあどうかはなんとも言えませんが(哲学ではよく「超越論的」という語が使われます。差し当たり「語がたい領域にあり、それ抜きでは日常経験におけるあらゆることを理解したり認識したりすることが不可能になってしまうようなもの」と捉えておいて構いません)、『哲学探究』の「私は自分の座っている枝を切り取るわけにはいかない」といったフレーズが想起されます。「所与の解釈枠組みから抜け出しつつその枠組みを理解するなんて、一体どうやって?」っていうことですね。

 よくポストモダンの人々にカテゴライズされ(、そして本人がそのことを拒否していたことが語られ)るフーコーですが、個人的にはその辺りの領域の人たちよりも文章が読みやすいと思っています。あんまり数読んでるわけじゃないけどね。

 そのような感じで、取り敢えず諸論はおしまい。現時点では謎ばかりですが、そういうものでしょう。

 

 

 本当は今回序論も読んでしまおうと思ったんですが、体の調子が悪くなってきたのでここまでにします。疲れたので寝ます。ご指摘やご質問、お待ちしてます。

 

オハラク

相席屋乞食物語

注:この話には筆者がこれまで行ってきた犯罪行為のいくつかが書かれています。そういう類のものが不快な方はここで読むのをやめましょう。尚、当然そのような犯罪行為を助長しているわけではありませんし、今は行いを改めております(そこんとこ、ヨロシク!)

 

_______________________

僕が今住んでいる福岡県には、東は北九州市、西は福岡市と主に2つの地方都市がある。

中でも前者では小倉、後者では天神や中洲のあたりが栄えていて、いずれも昼間に買い物やカフェなどに行く客だけでなく、いわゆる"夜の街"(この表現はこのご時世あまり使いたくないけれども)としてもかなり有名である。

それゆえ、適当に歩いていても酒を飲む場所に困ることはなく、週末の夜はいつも活気に満ちている。

僕自身、時間と金に余裕があると(時間と金に余裕がなくとも)たまに街に出ては、朝まで酒を飲んで生活のバランスをとって(失って)いる。

 


僕は酒を飲み歩くことがとても好きだが、一方で、女性が出てくることがサービスの一環として介在するような店には行ったことがない。

それは、キャバクラや風俗なんて、対人恐怖症かつ女っ気のない僕からすると、金を払って初対面の女の人と話すなんてどんな罰ゲームだよと思うからである。

また、なんといっても自分にはそれだけの金がない。

それゆえ、これまでの人生においてそのような場所には一度たりとも行ったことがなく、今後も余程な付き合い以外、行くことは多分ないだろう。

 


しかしながら、僕は大昔に一度、相席屋なる場所には行ったことがある。

ここであまり相席屋について知らない人向けに説明しておくと、相席屋とは、来店した男女が店によってマッチングされ、相席をすることで出会う、という店である。

たとえば、男2人で行くと女2人、女3人で行くと男3人と1つのテーブルを大抵は囲むこととなり、飲食を共にしながら会話を楽しむのである。

料金は店によって様々だが、僕が行ったところは男性側は10分あたり500円程度で飲み放題のみ(料理を頼む場合追加料金が必要)、女性側は飲み食べ放題完全無料という、なんとも非対称なシステムであった。

 

 

その日、僕は男2人でいつものように天神をふらふらと飲み歩いていた。

すると、まだ酔いも回っていない頃、連れの後輩(というかほぼ友人)が、ちょっと変わった場所に行かないかと提案してきた。

そこで、いろいろと検討会を行ったところ、最終的に相席屋に行くことで纏まった。

その友人は結構遊び慣れているクチであり、相席屋にも当然のように行ったことがあるようであったが、僕はというと当然のように一度も行ったことがなかった。

そのため、まあ何事も人生経験かと、調子良く通りがかりの相席屋に入ることにした。

中に入ると、先に入店していた同い年か少し年下くらいの女の人2人が座っている席に通された。

そして、こういった場を経験したことが皆無であり何を話せば良いか全く分からない僕を助けるように、友人が得意の話術で場を即座に盛り上げ始めた。

というのも、友人曰く、「相席屋は10分以内に相手と仲良くなり、連絡先を交換して店を出てまた後日会うのがフツーですよ!」ということらしいのだ(?)。

その後数分が経ち、会話がそれなりに盛り上がりつつある中、友人が「お腹減ったくないですか?」と言い出した。

と、突然、友人は目の前の女性に承諾を得るや否や、女性が注文していたパスタを勢いよく頬張り始めたのである。

ここでもう一度確認しておくと、先ほども説明したように、通常、男性側は料理を頼む場合、別料金として料理単品の代金が必要である。

そして、僕自身もそれにつられ、気付いた時には目の前の女性の料理をかきこんでいた。

こんなシステムの抜け目を見抜き、更にそれを店内で堂々と行うとは、今考えると本当に良い度胸である。

その後、酒を数杯頼み、さらには女性側の料理をお構いなくがっつき、気付けば満腹であった。

 


一応言っておくと、これは多分に犯罪である。

当然、これを読んだ人の大半は、そりゃマズいだろ、と思ったことだろう。

だがしかし、そんなことは気にもせず、当時の僕は堂々と相席屋で乞食行為をやってしまったのである。

因みに、僕はもともと治安が荒れに荒れた九州の田舎の出身で、自分自身、腹が減ったら万引きすれば良い、くらいに思っていた少年時代すらあったような人間である(今はそんなワケないからネ!)。

また、そのような不法行為に対し、寧ろ世間はどうせ自分のことなど見向きもしないから、どうせ、というような暗澹たる厭世観に苛まれていたこともあった。

それゆえ、当然その辺の倫理観というか、法的感覚というか、そういう類のものが昔はごそっと抜け落ちてしまっていたのだ。

因みに店内には僕らのような貧乏遊びをしている客だけではなく、長居する目的で来ていた景気の良さそうなスーツ姿の集団もいたりして、そういう場合女性側のツマミを少しもらったりするくらいはありそうだし、実はどこまでが無銭飲食でどこまでがそうでないかの線引きは結構難しそうである(これは決して言い訳をしているワケではない)。

 

 

ということで、今回は、大昔に相席屋で無銭飲食をしてしまった話を書きました。

なんか多分本当に普通に犯罪なので、真似をするのはやめた方が良いと思います。

真似して怖い人に連れ去られても僕は知りません!

 

 

mtkn

古墳に大コーフン!の巻

どうも、熊猫です。

猛暑ですね。みなさんに少しでも涼んでいただこうと思い、こんなナメたオヤジギャグをタイトルにさせていただきました。

以前の投稿で、家の近所に古墳があるわよ!というお話をさせていただきましたね。

(まだご覧になってない方は、ぜひご一読ください!)

今回は、その記事の続編、もとい実地探訪編です。ちょっと長いですが、ぜひお付き合いください。

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(前回までのあらすじ)

夜更しクンの指摘によって、実家の周辺が爆古墳地域であると知った熊猫。

隠れ歴女であるところの熊猫ママにその話をしたところ、「おもろそうやん!詳しい人知り合いにいるから話聞きに行こ!そんで古墳も見て回ろ!」と、ありえん食いつかれて後に引けなくなってしまった。

ぽっかり口をあけた横穴式石室、歴史ロマンとの邂逅、アクティブな母親と23才の息子の、暑い夏が始まる。

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「そういやうちの近所、めっちゃ古墳あるらしいよ」

思ったより実家が暇で手持ち無沙汰だった僕は、台所で夕食を作る母の背中に向かって唐突に話を振った。

「そうらしいね、父さんの知り合いに詳しい人おるし、あんたも興味あるなら一緒に話聞きに行かん?」

母はノリノリでそう答えると、爆速でスケジューリングを行った。

かくして、近所に住む広島県教育委員会所属のOさんに話を聞きに行くことになったのである。

Oさんは近所のデカい神社で禰宜を務めるかたわら、古墳などの遺跡発掘調査を行っているそうだ。

Oさんによれば僕の住んでいる地域は、4〜5世紀ごろにかけて日本でも有数の都市を形成していたらしい。

寂れたスナックとガラガラのパチ屋ばかりが目に入る今の姿からは、想像もできない。

地域の主な生業は、たたらによる鉄の精錬と海運貿易。

古事記で言うところのスサノオにあたる朝鮮系渡来集団が土着の人々と合流したことで、そういった都市を形成するに至ったらしい。

また、余談だが京都で行われていることで有名の祇園祭は、うちの近所が発祥の地というまあまあ有力な説もあるんだそうな。

なんでも、古事記に出てくる蘇民将来はこの辺に住んでいたらしいね。

ちなみにぼくんちの真ん前くらいで毎年行われている祇園祭は、うちの父親ふくめ近隣住民の生きる糧となっているフシがある。マジで酔うと祭りの話しかしやがらん

閑話休題

うちの近所はマジでデカめの都市圏を形成していたようで、たとえば俺とクソ仲が悪い幼馴染が住んでいた地区からは、吉野ヶ里遺跡級の環濠集落が見つかったそうな(宅地造成のために音速で埋め戻されたらしいが)。

他にも、横穴式石室を有する古墳時代初期〜中期の中型古墳がボッコンボッコン見つかっているらしい。

なお、前回の記事で古墳おじさんがバコバコ見つけていた群集墳について話を伺うと、それらは古墳時代後期のもので、「当時の集落があったと思われる南向きの尾根から腐るほど見つかっている」とおっしゃっていた。

そして、この地域で発見された遺跡が記された、門外不出の広島県教育委員会監修遺跡マップを見せてもらうことに。

なお、遺跡があると分かるとその周辺の地価が暴落するためここでは公開できないが、マジで椿の葉の裏についている蛾の幼虫かってくらいウジャウジャありました

そんな話を目を輝かせて聞く熊猫ママ

3日後、いよいよ実地探訪することに。

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その日も天気予報は、35℃近くまで気温が上昇すると言っており、熱中症が声高に叫ばれていた。

それを見越して朝の6時半に母と家を出発し、古墳めぐりをすることに。

1つ目は地域でも有名かつ、かなり整備されている二子塚古墳へ。

教育委員会もかなり保全に力を入れているらしく、むちゃくちゃ丁寧な解説がなされていた。

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古墳の解説
出土品の「双龍環頭柄頭」って名前、エグかっこよくないっすか?
もはや卍解だろ
ルパン雇って盗んでもらおうかな

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しっかりめの模型、いいね〜

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石棺in石室
中には入れなかったが、冷涼な空気が流れ出ていた

へェ〜、やるじゃん福山市教育委員会

思ったよりちゃんと整備されてて、感動しちゃったな。

本日探訪予定の他の古墳も、さぞかし整備されてるんだろうな。

なーんて期待していたのが、地獄の始まりだった…

第二の古墳、宝塚古墳へ向かう。

…なんかシンプル墓地に着きましたケド。。。(上地雄輔)

あ、墓場から山に獣道が伸びてる!まさかこれが古墳への道だったり…?

そのまさかです

写真を取り忘れたのがマジで残念。シンプル山ン中にありました。

山の中にひっそりと佇む宝塚古墳(の石室)。たどり着くまで、ヤブ蚊に刺されまくりました。

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一応看板はちゃんとしている宝塚古墳
それよっか道をちゃんとせいよ

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覗き込むには埋もれすぎている横穴式石室

ヒー、すげえ辺鄙なところにあるもんだなあ。

と、宝塚古墳を後にしようとしたところ、一つの標識が目に飛び込んできた。

これが今回最大の難所、狐塚古墳である。

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無慈悲な標識クン

いや、これ、もはや道じゃなくない?

え〜、ヤダあ。え〜。

と、心のゼロ年代前半コギャルがわめき出すのをぐっと抑え、「なぜ古墳に向かうのか?そこに古墳があるからさ!」と心のマロリーが一喝。

熊猫ママと藪をかき分け前進!

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無慈悲な標識2(ツー)

いや、なんもねえけど…

探せば近くにあったのかもしれないが、心がバキバキと折れるのを感じ、撤退。

次の古墳はまともなやつがいいな〜と思いながら、「権現古墳」なる強そうな名前の古墳に。

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なんか神々しい感じのところキタ!

雰囲気大当たりでは???

なんかゼロ年代後半のアニメに出てきそうなお社でてきたんだけど。

つーかそもそもこれ古墳?

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おなじみ、ちゃんとした看板

看板クン曰く、露出した石室の天井石の上に昔の人が熊野神社のお社を建てちゃったみたいですネ。

そんなことあるんだ…

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お供え物のワンカップがエモい

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天井ひき〜

うーん、いい感じの古墳が見れてヨカッタ!

次はどこにしようかな(ねぇ/Pafume)

と、この近辺に、住宅に溶け込んでいる古墳があるという情報をキャッチ!

そこに行ってみることにしました。

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もう見慣れたしっかり看板クンと、迫力の横穴式石室

大迫古墳という名のこの古墳、想定の100倍人家に近くてビビりました。

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人家に近いというか、もはや一部
ガレージか?

いや〜、撮れ高十分でしたね。

と、ここまで見てきたのはどれも福山市の近田というエリアの古墳。

ここから、古墳おじさんの活動拠点である御領地区に行ってみよう!ということになりました。たのしみ〜

結論から言うと、御領地区の古墳は僻地過ぎてマジで無理でした。

例えばこの法道寺古墳…

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平地に佇む標識クン

え、古墳?どこ?となりますよね。

正解は、「写り込んでる民家の脇の道を進んだ先の廃寺」でした!

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マムシが出そ〜
この先に古墳、あるらしいね。

民家の人曰く、「イノシシが出るからを柵してる」とのこと。

「別に入っていってもいいけど、私ですら古墳を見に行ったことはないなあ」と、民家のおばあちゃんにたしなめられ、気温と藪にハートを折られて断念…

総括:古墳を見に行くときは、藪入りの装備と蛇や虫が出ない季節にしましょう!

というわけで最後に、御領地区にあった「エグいパラボリック傾斜の石段がある神社」の画像を掲載して終わりとさせていただきます。

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マジで傾斜がエグすぎて、階段上る勇気が俺にはなかった

長文に付き合っていただいてあざっした!

熊猫

寿司と、おのぼりさんな角上魚類

こんばんは。夜更かしクンです。

 

 

最近、また赤羽がアツいです。

7月には4連休などもありましたが、

コロナのアレでどこかへ旅行することもできず、

大学院の課題などもなかなかに多く、

せめて美味しいものくらいは食べたいな、、、

ということで、週末になると最近は

Go To 赤羽を敢行することが多いです。

 

 

internet-boyz.hatenablog.com

この記事でもちょっと書いたんですけど、

僕のお気に入りは富士ガーデン内の角上魚類


アメヤ横丁 角上魚類 CM 1993年 新潟県ローカル

平成初期の感じがめっちゃ懐かしい。

元はと言えば新潟発祥の鮮魚スーパーです。

 

 

個人的には、

ソイヤ!ソイヤ!角上!角上!

ソイヤ!ソイヤ!角上!角上!

船を!

担いで!

ど・こ・へ・ゆ・く!

ってCMが好きでした。

小学校とか中学校でこれをパロって遊んでた。

YouTube探したけど見つからなかった、悲)

これは確か、

角上魚類は船を担いで関東に進出するよ」

みたいなニュアンスのCMなんですが、

これが流れ始めた数年後から今度は、

徐々に新潟県内の角上魚類が閉店し始めて、

本拠地を捨てて東京に出ていくのかよみたいな

複雑な気持ちになったのを覚えています。

実際、現在東京に4店舗、埼玉に7店舗など、

関東中心に展開していますが、

新潟県内には2店舗しかありません。

その昔、戦国時代に越後の長尾景虎

関東管領の上杉家を継ぎ、上杉謙信となって

関東に度々出兵していたのを彷彿とさせます。

でも謙信は本拠地の春日山城を大事にしたし、

ちょっと違うか。

ほかにも、

埼玉県や大宮市は新潟県民の巣窟だ!

みたいな言説もあるしなあ。

 

 

まあそんな角上魚類ですが、

マジで品ぞろえがいいです。

良質なスーパーが数多く存在する赤羽は

都内のスーパー激戦区だと言われています。

実際、価格が高過ぎず安過ぎず、

それでいて食材の質もけっこうよくて、

家族向けのバランスのよいスーパーが

たくさんあるなーという印象です。

都内の鮮魚スーパーだとほかには

御徒町の吉池などもありますが、

個人的には角上の方が鮮度がいいのと、

あと旬の魚に強いような印象があります。

 

 

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こないだの日曜は愛媛県産養殖真鯛のあらが

こんなに入ってなんと100円でした。

マジで飛ぶように売れてた。

処理して冷蔵庫で保存して、

毎朝(昼)グリルで焼いて食べてます。

もちもちふわふわで超うまい。

 

 

ほかにも、こんな感じで買ってます。

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イサキと花鯛。箸と比べるとサイズがわかるかも。

花鯛はかなり安い。この時はイサキの方が高かった。

(イサキはブランド物だったこともある。

味も濃厚だった)

 

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またしてもイサキ。こないだの方が太ってたね。

 

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入梅イワシ

(梅雨頃の産卵前のイワシをこう呼ぶ。

皮をひくと脂が乗っていて白光りしている。)

 

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入梅イワシとアジ。

これで380円とか。イワシが1匹60円とアホ安い。

イワシは鰯と書くように足が速いので、

なるべくその日のうちに食べます。

でもイサキや鯛は三枚におろしてから

1~2日冷蔵庫で寝かせた方がおいしかった。

体内のATPが旨味成分のイノシン酸へと

徐々に変化していくんだそうです。

魚って新鮮な方がおいしいと思ってた。

 

 

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たしかイサキとスルメイカ

 

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これは花鯛。

 

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イサキ。バーナーを買って炙ってみた。香ばしかった

 

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アジ

 

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入梅イワシ。皮下脂肪で真っ白だね

 

とまあこんな感じで、毎週土日月火あたりは

寿司を握って過ごしています。

最初は見様見真似で何もわからなくて、

シャリが手にこびりついて握れなかったり。

最近はちょっとマシになってきた。

寿司職人、板前のみなさん、リスペクトです。

寿司を握るのに必要な知識、かなり多いです。

 

 

「頭でっかちにならずに、まずやってみる」

ってのが最近のポリシーですが、

これの何がいいかというと、

こうやってプロとの差を感じると、

プロがいかにすごいのかが身を以って

嫌でもわかるようになります。

そして、ほんとのリスペクトとか感謝って、

そういった体験の先にあるよなーと。

これを得られるのがマジででかい。

 

 

板前さんになるためには

相当な修業が必要だということ、

とても厳しい世界、職人の世界だというのは

何となく知っています。

でも、その一端をこうやって体験してみると

それがからだでわかるというか。

今度対面のお寿司屋さんに行ったとき、

心から「ごちそうさま」を言っているという

確信があります。

 

 

まあそれだけではなく、

何かできないことがあっても、

ちょっとずつできるようになるのは楽しいし、

何より家で寿司を握って食べるというのが

斬新でおいしく、安く、楽しいです。

とはいえ三枚おろしとかもハードルが高いし、

まずはサーモンとかマグロの赤身とかの

サクを買ってきて、

あるいは刺身の盛り合わせとかを買ってきて

それで練習してみるといいのかなと思います。

 

 

冷蔵庫に寝かせてあるイサキの半身があるので、

これからまたそれを握ろうと思います!

あと、サーモンのサクも買ってきた。

炙りサーモンをやります。

暑いですが、それでは引き続き良い夏を!

 

 

 

夜更かしクン

戸田山『科学的実在論を擁護する』の序章と第一章を読みました

こんにちは

久しぶりに読書メモ的な使い方をしようと思います。

 

こないだネットを介して購入した戸田山和久科学的実在論を擁護する』の序章と第一章を読みました。二週間くらい前に読んだっきりなので、概要を説明したり、全体的に評したりとかはできないので悪しからず。このポイント面白かったな、とか、ここ覚えておいたら後で嬉しいかもな、みたいなところを箇条書きにしていきます。

 

 

 

序章 科学実在論論争とは何か

 

この章では、この本の主題となる科学実在論論争とは何かについて説明したのち、その源流となる経験主義の思考をデカルトから遡っています。

 

面白いなと思ったのは以下のポイントです。

 

・科学実在論における諸テーゼを何についての実在性を主張しているかについて分類している(対象実在論、事実実在論、意味論的テーゼ、認識論的テーゼ、形而上学的テーゼ、価値論的テーゼ)

 

デカルトーロックーヒュームという経験主義の系譜。特に途中から半実在論的な性格を帯びる。

 

 

 

第一章 還元主義と消去主義

 

この章では論理実証主義者による科学のモデル化から初め、その還元主義経験主義の破綻、消去主義的な道具主義プロジェクトなどが紹介され、論理実証主義とは何だったかについて振りかえられます。

 

以下、メモです〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

・公理モデルについての簡潔でわかりやすい、例つきの説明が読めた

 

・観察文/理論文の定式、前者は直接検証可能な文のことで、理論文は直接的に観察不能であるという説明がなされる。「原子は原子核と電子からなり〜」みたいな文は後者にあたります。これを経験主義やラディカルな検証主義の中でどうすくいとるかみたいな話が大事になるっぽいです。

 

・検証理論が破綻した際の諸々の反応が面白かった。理論語については実在論を認めたり、また言語的な枠組みの問題の中で解決しようとしたり(カルナップ)、あるいは道具的消去主義として理論語の道具としての有効性を論じつつ(マッハ)、それが消去可能であることを示したり(クレイグ)していました。

 

あんまり脳にインストールできませんでしたが、短くとも内容の濃い吟味が行われていてびっくりしちゃった覚えがあります。特にパトナムによる観察語についての指摘が興味を引いた。曰く、「観察語が原理的に観察可能なものを指すために使う言葉だとすると観察後などというものはない」ということであり、「観察語と理論語の明確な線引きを引くことは難しい」ということである。

 

論語と観察語という言葉はよく別の紙を読んでいて出てくる言葉だが、いまいちその意味がわかっていなかったので、はっきりと定式化されていたのはかなり助かりました。

こうした理論語/観察語をめぐる意味の広がりや、またパトナムが話す理論について評価語、自然文と規範文という区別についての議論を少し調べていきたいっスね。

 

肝心の議論の中身をほとんど紹介できなくてごめんね。

じゃ、また。

 

オハラク

不定さ

音楽を始めてからというもの、「方向性」なるものが凄く気になるようになってしまった。

 

 

その最たるものが、自分の音楽性についてである。

自分が所謂どういったジャンルの(今どき「ジャンル」というとやや野暮かもしれないが)音楽をやっていくのか、どんな音像の音楽を製作していくのか、みたいなことを常々考えては、製作中の曲同士の統一感みたいなのを持たせようと試みたり、過去の自分の曲同士の統一感の無さに頭を抱えたりする。

より具体的には、たとえばキックひとつにしても、割とクリアな909的な音なのか、ブーンバップ系のローファイでドッシリした音なのか、ローファイだけどもっとカタい感じなのか、もっと生ドラムっぽい感じか、その他にも…みたいな具合である。

また、SoundCloudの曲ごとのジャケやInstagramの一連の投稿も同様に、全体の統一感や調和のようなものをかなり気にしてしまい、少しでもそこから逸脱したものはノイズに感じてしまう。

最近だと、ただの呟きの集積でしかないTwitterでさえ、後から見返した時に違う感じがして投稿を消す、みたいなことを頻繁に繰り返している。

もっと言うと、普段の些細な言動の端々ややりとりする文面、身に付ける服装、部屋の中の物たち、これから先の身の振る舞い方など、あらゆる方面に対して過敏にブレを気にするようになってしまった。

 

 

一方で、僕はとても影響を受けやすい性格である。

たとえば音楽だと、ヒップホップを聴けばヒップホップを、ハードコアを聴けばハードコアを、future bassを聴けばfuture bassを、チル系の曲を聴けばチルっぽいものを…みたいな具合にあらゆる音楽を作りたくなる。

作る曲の音像は時にクリアに、時にローファイになり、BPMもまちまちで、先ほども触れたように、曲ごとのあまりの統一感の無さに頭を悩ませてしまう。

さらには、自分とは違った音楽畑の人たちの界隈を見て感動し、羨ましく思ったりもする。

文章も同じで、自分の個人ブログは回によってですます調になったりである調になったりしているし、文章の雰囲気もくだけていたり急におカタくなったりと、常に不安定である(そもそも、ブログの形式すらあまり定まっていない)。

その様子を踏まえると、このブログを今のところ割と同じような文体・形式で書き続けていることが奇跡みたいな感じである。

 

 

こういったふうに、最近の僕は、ブレみたいなものを過剰に気にしながら、他方ではあらゆる人やものから影響を受けてブレまくり、そのジレンマに常々もがき苦しみながら過ごしている。

定まった方向性で走り続けた先に見える世界は確かにあると思うし、そういう洗練された境地にいる人々にはかなりの憧れがある。

しかし、自分のような不定タイプの人間が意図的に表現の範囲を限定化させ、その範疇から逸脱しないように神経を張り詰めながら生きていくなど、これ程辛いことはなかなかない。

生涯長く音楽ないし表現活動、もとより人間活動を続けていく上では、ある程度の等身大さも必要であるということが、今のところの自分の思うところである。難し〜!

 

 

そんなワケで、このままだと、「音楽器用貧乏」みたいになるかもしれないのだ。

というか、音楽に限らず、物事全般における器用貧乏タイプ、いや、器用ならまだマシで、「下手の横好きなだけの不器用貧乏人」みたいになってしまうかもしれない(というか現状そうである)。

つまり、「なんかよく分からないけどいろいろやってるオッサン」になりそうなのである。助けてください。

でもまあ、それはそれで自分への正直さ、いかにリアルであるか、みたいなところに関しては割と定まっているということなので、良いでしょうということにしておこうかしら(軽!)。物は言いようとはこのことである。

こうやってすぐに見方を変えて言い訳をし、開き直ってなんだかんだやっていくというのは、自分の得意分野である。

 

 

mtkn