internet-boyzの日記

4人で交換日記をしています。

映画『リトル・フォレスト』にみる身体性

こんばんは。どうも、夜更かしクンです。

前はブリとか名乗ってたんですけど、よくわからないのでやめます。

 

きょうは105分授業が4コマあってめっちゃん疲れました。

でもまあ残り一年半はほとんど授業がないので、

ここが頑張り時だと思って、

のらりくらりやっていこうという、そんな感じです。

コロナの変な影響ですね。

 

 

 

 

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最近、ハマっている映画があります。

 

 

 

 

 

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リトル・フォレスト。

主演の橋本愛がいい感じにハマってるのもそうなんですけど、

「生きるために食べる、食べるために作る。」という、

サブタイトルがしっくりくる映画です。

主人公いち子はたぶん20歳前後なんですけど、

そんな若いにもかかわらずたったひとりで、

小森という東北地方の山村でほぼ自給自足で暮らしていく様子が

淡々と描かれていきます。

(もちろん、近所のひとたちと楽しげに交流したりもしています)

田んぼの草取りをしたり、山で木の実や山菜を採ったりしながら、

そうやって自然からもらった食材を丁寧に料理していく...。

それだけと言ってしまえば身もふたもないんですけど、

シンプルで素朴に、かつ丁寧に作られていて、

メッセージをそのまま受け取れば十二分に楽しめます。

むしろ、日々の生活や今後の人生について、深く考えさせられました。

 Amazon Prime会員なら無料で観れるので、ぜひ。

(先週はたしか5回観ました。笑

BGMみたいにも使えて、けっこう落ち着きます。)

 

 

ネタバレで騒ぐほどのストーリーもいい意味で存在しないので、

心に刺さったシーンをひとつ、紹介させてください。

 

ある日、いち子は幼馴染(たぶん)のユウタと、

キャンプ場の単発バイトで一緒になります。

ユウタはいわゆる「Uターン組」なんですけど、

いち子からなんで小森に帰ってきたのかたずねられて、

こう、淡々と、答えていきます。

 

 なんか小森とあっちじゃ話されてることばが違うんだよね、

方言とかいうことじゃなくて。

 

自分自身の身体でさ、実際にやったこと、

その中で感じたこと、考えたこと。

自分自身の責任で話せるのってそのくらいだろ?

そういうことをたくさん持ってるひとを尊敬するし、信用もする。

なんにもしたことがないくせに、なんでも知ってるつもりで、

他人が作ったものを右から左に移してるだけのやつほど威張ってる。

薄っぺらな人間の空っぽな言葉を聞かされるのにうんざりした。

 

 俺はさ、他人に殺させといて、殺し方に文句付けるような、

そんな人生は送りたくないなって思ったよ

 

あーー、、そうだよねそうだよね、、。

なんだろう、ぼくらはどんどん頭でっかちになっていってる気がする。

勉強すればするほど知識は増えるし、

ニュースで地球の反対側のできごとを知って怒ったりするし、

SNSでバズってる投稿とかを見て共感したりもする。

 

 

でも、そうやって外部から取り入れた情報って、

いったいどのくらい「身体で」納得しているんだろう。

どのくらい「腑に落ちて」いるんだろう。

実際に体験してみたらおんなじように感じるんだろうか。

 

 

それこそ卑近な例でいえば、たぶん

「数学の公式は知っているけど、いざ試験になると使えない」

みたいなのもたぶんこれで、

頭ではわかっているけれど、からだではわかってない。

たくさん問題を解いて実際に使い、時には忘れて教科書を見直し、

じぶんで手を動かして証明し直したりしてみる。

そうやってじぶんのなかの引き出しにストンと落ちるまで向き合って

はじめて、「腑に落ちる」よね。

で、その引き出しが増えれば増えるほど、

あたらしいことを身に付けるのが速くなっていったりする。

見た瞬間に全てを理解する天才は別として、たいていのひとは

こうやって地道に地道に道具を使えるようになっていくと思う。

 

「いまどき、Google検索すればなんでも出てくるから、

必要なのは知識よりも検索力、検索の技術だ」

みたいなこともよく聞くけど、たぶん検索力のあるひとは、

検索ワードについて自分事として学んだことのあるひとだと思う。

知りたいことの根幹をなすワード、

その体系のなかでハブになっているワード、

そういうものにはあてずっぽうではなかなか出会えない。

 

さいきんは嫌なニュースも多いけど、

ぼくらが何を見て「嫌だ」「悲しい」と思っているかというと、

あくまでもメディアとか第三者が切り取った二次以下の情報。

もちろん一般化できる部分も多いとは思うけど、

当事者が「実際のところは」どう思っているのか、

現地では「実際のところは」何が起こっているのか、

それはやっぱり当事者にしかわからないものがある。

それにぎりぎりまで近づいた上で悲しんだり怒ったりするのは

とても尊い体験だと思うし、そうやって生きていきたいけど、

右から左に流れてきただけのものを捕まえて、

確証のないものに振り回されるのは、僕は嫌だなと思います。

現実は、そこに至るまでの過程も含めて、複雑怪奇なはずです。

昔どっかの大学の総長が言ってた、

「ナマの体験を大切に」って言葉に、いまさら感じ入っています。

 

 

もちろん、「想像力」「共感力」が

人間の優れた能力のひとつであることは理解しているつもりです。

でも、なにかを想像したり類推したりするとき、

じぶんで納得しきったものをベースに考えたいし、

なにかに共感したりしなかったりするとき、

その「なにか」はできるだけアクチュアルなものであってほしい。

そして、アクチュアルなものを、「ナマの体験」を増やすためには、

頭で考えてこぎれいにまとめるんじゃなくて、

まずは泥臭くてもいいから、何でもじぶんでやってみる、

そういう魂のもとに生きていきたいなあ、と改めて思います。

そして、じぶんにできないこと、じぶんの限界を知ってはじめて、

それを乗り越えたひとへの尊敬だとか、

協力してくれるひとへの感謝だとか、

自然がどんなに偉大でかなわない存在なのかとか、

そういう感覚も生まれてくるのだと思っています。

 

 

じっさい、それこそ僕は自炊が好きなのでそういうことも含めて、

ここ数年はなるべく頭でっかちにならないように、

まずは何でもやってみることを意識するようになって、

上に書いてきたようなことをポツポツと感じていました。

それが、今回のこの映画のおかげで、

こうやって文章で他人に伝えられるレベルまで分かった気がする。

感謝しています。ありがとう。

 

 

ハードでラブリーでファンタスティックな洋画もいいけど、

たまには邦画もね、ぜひ観てみてね。

 

 

夜更かしクン