お金と尊厳
およようございます♪
オハラクンです♪
昨日どうにもこうにも寝られなくて川沿いを散歩してたら、目の前を自転車に乗ったホームレスの方が通り過ぎていって、ひとんちの家の前に出してある缶ゴミを持ち去って行きました。
よく聞くことですが、どうも缶ゴミを収集して金銭に変えているようです。
なんというか
うーん
これって何かしらのルールに接触しそうじゃない?
と思った。
あえて意地悪な書き方をするけど、ホームレスの缶ゴミ換金システムって、町内のゴミ拾いも兼ねているから報酬が与えられているような気がするんですよね(これは僕が全くの無知で勘違いかもしれません)。
いずれにせよ一般家庭が購入した缶がゴミになって、自治体によって雇われる収集サービスがそれを回収して、というプロセスに干渉するのって色々と問題含みだなと思いました。
あ、でも勘違いしないで欲しいんですけど、ホームレスの人が憎くてこういう話をしているわけではないんです。
むしろ問題だと思うのは、彼らがこういう問題を含んでいそうな方法を取らざるを得ない状況にあるということなのかなと(極めて素朴に)思います。
こういう何らかのルールに接触していそうな手段によってお金を稼ぐのって、その手段を取るものの自尊心に関わるなと思うしだいです。
どうせ、どうせですよ、各家庭が購入した缶ゴミが彼らの金銭獲得手段になるなら、もう少し慣習道徳に則ったいいやり方がある気がするんですよね。
どうせ何かを提供するなら提供者も非提供者もそれぞれの尊厳とか自尊心を充足しつつハッピーになれるような形式を与えることができんかな?できるんスかねこういうの。
こういう話を考えるときにいつも思うのは、僕の友人がたまに言っている、「生きていくだけだったら生活保護で暮らしていくのが一番コスパいいよな」という話です。
彼らは本当に優秀で、彼らが今後納めていくであろう税金の額を考えると、一理あるなぁと思います。
(そんな優秀な彼らが僕みたいなテキトーな人間と遊んでくれることにすごく嬉しさを感じます)
しかし一方で、彼らがそのコスパの良い生き方に参入できないでいるのは、(そして僕もまたそうできないでいるのは)、尊厳の問題があるからかもしれない。
ある種の生き方は、多くの人たちから蔑みの目で見られてしまうがゆえに、その蔑みから耐えられる心を持っていない場合には、本当に追い詰められでもしない限りそうした生き方を採用することは難しいと思います。
とはいえ自分の身を切って多くの金銭を納めている人々がいる以上、そうした救済措置の恩恵を受けている人々に対して絶え間ない尊厳を持ちましょう!というのはかなり難しいと思います(当然こうした話の中には生まれや機会、環境といった運の問題が深く根付いています)。
僕も自分の利益の最大化を目論みつつ、ステークホルダー同士みんなと仲良く楽しくやっていけたらいいなぁ。
そういう感じです。
心の強さ、持とう!!
オハラクン