おしっこ
僕には前々から気になっていることがある。
それは、周囲の人間が、自と他の区別の線引きをどこに設定しているかということだ。
もっと具体的に言うと、「皆さん、自分のおしっこは飲めますか?自分のウンコは食べられますか?」ということである。
自分は無理である。
自分にとって、排泄物はおろか、つばや爪なども、いったん身体から離れると「他」になってしまう。
そして一度「他」となってしまうと、それは「『自』である状態よりも遥かに汚いもの・抵抗のあるもの」に感じてしまう。
例外として「食事」「飲料水」「洗った食器」など、「他」の中でも綺麗に感じるものはあるが、少なくとも自分の体に属するものはすべて「他」となった瞬間に「汚い寄りのもの」に感じてしまうのである。
ここまでの話を読んで、そりゃそうである、と思っている人も多いと思う。
しかし、世の中にはいろいろな人がいる。
例えば、「飲尿健康法」なるものがある。
字面通り、尿を飲むことで健康の増進を図るというものだ。
中でも、特に自分の尿を飲む「自尿療法」を指すことが多いようである。
勿論だが、この健康法の科学的根拠は薄く、あくまでも民間療法である。
尿の中に排泄される、尿細管で再吸収されなかった様々な物質を再度身体に入れることができるとか、その程度のものとしか考えられない。
寧ろ雑菌などが体に害を及ぼさないか心配である。
とにかく、一旦身体から排泄されると即座に「他」、それも「汚いもの」となってしまう僕からすると、自分の尿を飲むなど到底無理な話である。
命に関わるほどの水不足に陥らない限り、決して飲むことはないだろう(もっとも、尿には塩分が含まれるため、脱水が進む可能性すらあるが)。
アダルトビデオを見ていると、自分のアソコを触った手をペロリと舐めるシーンが多いことに驚く。
自分にとっては信じられない行為だが、これがアリな人は直感だがそれなりにはいそうである。
つまり、「自」と「他」の線引きは、おそらく意外と人それぞれなのである。
もしかすると、今隣にいる気の知れた友人も、可愛いあの子も昔の恩師も、おしっこやウンコが「自」であるタイプの人かもしれない。
mtkn